今朝、自分のiPod nano(第二世代)の中身を見てみました。何度かリセットしたりしたので全ての履歴があるわけじゃないですが、なかなかに興味深い結果でした。
再生数上から数十位まで、全部ゲームかアニメの歌www
尤も、ゲームでもアニメでも無いのといえば、「パリは燃えているか」と「パッヘルベルのカノン(編曲の違いで10曲程)」、ZARD数曲、eufonius数曲(これはクラナド関連で知りました。でもメグメルとリフレクティア以外殆ど聞いてない)…だけです。他はゲームとアニメの曲が数百曲入ってます。…ってことはこのランキングも必然。
因みに一昨日初めて聞いたLittle Riddle(4:50)という曲は、昨日だけで再生数80でした。って、え?まじですかそれは。自分でも驚きというか、非常識という認識を禁じえません(しかも今も聞いてる)。
話は変わりますが、私、昔は肉体がなくても恋愛感情を持てるものだと思っていました(唯物論の方はお帰りください)。誰かを特別に思うことは、生殖機能という肉体的本能の所産ではなく、もっと純粋な精神の発現だと思っていました。
その考えはあたっているかもしれません。でも最近は肉体という束縛の外には、恋愛感情は存在しないのではないかという思いのほうが強いです。純粋な精神の愛は「恋」というよりもむしろ「慈悲、慈愛」というものではないかと思っています。
そういう考えは昔からあったにはあったのですが、もしこれが正しければ、みながこれに気付いた時に人間は必然的に滅びますよね(笑)。それがあって否定してたんですが、最近は「五感の牢獄」という意味が少しずつ分かってきて、肝心なところが分かってしまえば、人間という「物質」は用済みではないかなと、だから人間が滅びることは理論の破綻の証拠にはならないんじゃないかと思うようになっています(なんか物理学っぽい言い方ですいません…理工系なもので)。
もし誰かを好きだという感情が雑誌にのってる流行やモテるファッションと同じように他人に作られたものだったら…或いは本能への言い訳のために作られた感情だったら…「恋」には価値があるのでしょうか?
例えばクリスマスとかバレンタインデーとか…そういう日を特別視するのは明らかに感情が操作れているからですよね(ここを否定されるともう笑うしかないです)。
そんな可能性を否定したり嘲笑するのは簡単ですが、そんな人たちはきっと見えてる世界が違うんでしょう。多分私と議論しても平行線です。
私が少数派であることは認めますがwww。真実は多数決じゃ決まりませんから。
多数派が正しいことなんて滅多にありません。でも今回の場合、私も真実からは程遠いと思います。
私はまだまだ勉強不足なのでしょう…残念ながらあまり頭も良くありませんし。
頭良かったら、8年前にここまでは楽に来れたと思います。やっぱり過失はするものじゃないですね。自分の責任が零じゃなくても、全ての責任を背負わないといけないこともありますからね。
…ま、ある一件以降恋愛が億劫(正直言うと怖いし、あまりにも高リスク)になってこんなことを考えるようになった訳じゃないんですよ?確かに一因ではありましたが。
…色々と考えてるつもりなんですが、それも所詮「私なり」の程度なのでしょう。
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