かつてあれほどまでに大切だったもの、好きだったもの、こだわっていたものが、ふと気付いた時にはもう自分の興味の範疇に入っていない、そんなことをこのごろ強く感じます。
我々が常々抱く膨大な感情の殆どは、一時的なものです。
殆どの思いが、我々自身がそれに気付くまでもなく、精神の辺縁へと消えていきます。
我々はそれに名前をつけたり、価値を推し量るようなことをする暇さえありません。
時折、強い感情は記憶にとどまるくらい持続します。我々が「思い」だと自覚できるのはその強い感情だけです。
しかし、ご存知のようにこの強い感情でさえも、脆弱で、人間の一生という短い時間に比べても、とても短い間に消えてしまいます。
数日で消えるもの、数週間で消えるもの、数ヶ月で消えるもの、中には数年続くものもありますが、しかし、その程度です。
我々を取り巻く世界では良く「永遠の愛」という言葉が使われます。期間限定の愛などといわれれば、それこそ千年の愛も冷めるでしょう。
しかし、我々は普段積極的には認めませんが、どういった感情であれ永遠に持続するものなどそう滅多に見つかるものではありません(「ない」ことはなかなか証明できない。数学でも良くあるように、真の命題を証明するのは容易でも、偽の命題を証明するのは困難であるという事情による)。
そして、五感を通じて与えられる刺激がとても強いために、一時的に抱く感情をしばしば我々の本当の気持ちだと錯覚してしまいます。
では、我々の抱くこの一時的な感情にはいったいどれだけの意味があるのでしょうか。いわばテンポラリーフォルダに入っているファイルのようなこの感情が、我々にとってどれほど大事なものなのか。
何でこんなことを考えているのかといえば、私自身が私自身何なのか分からず、それを知りたいと思うからです。
私は、人間はなぜ生きているのか。
その答えを、生きている間に見つけられるでしょうか。
…なんか最近こういう哲学的なことばっかり書いてますね…本来の目的はどうしたのかと聞かれそうです。